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第2景 霞かせき

第2景 霞かせき -安政4(1857)年1月改印
経度139.45.7.480 緯度35.40.20.750 付近より、東南方向を描写

392px-100_views_edo_002.jpg

この場所は、現在も比較的地形がそのまま残っているので、場所の特定はしやすい。向って左が、広島藩浅野家42万石、右側が福岡藩黒田家52万石のいずれも西の大藩の上屋敷で、重厚な長屋塀が霞ヶ関坂に沿って続く。通りの左に朱色の小屋らしきものが見えるが、これが江戸図2の■印に記されている辻番屋であるとすると、この絵は、江戸図2の▲の地点から東南を描写したということがわかる。この場所は現在でもかなりの高台であるので、ここはかつて、この絵のように江戸湾が見下ろせる景勝の名所であったのだろう。遠方の町の中に見える三角屋根が築地本願寺(築地門跡)なら方向も一致する。見落としがちだが、一番手前にあがってる凧には「魚」と書いてある。これは、版元の魚屋栄吉のさりげないアピールということらしいが面白い。

江戸図2 【安政3年実測復元江戸図より】
霞ヶ関江戸縮小

安政年間の地図を実測復元した江戸明治東京重ね地図を用いると、下記のように現代との比較ができる。一目瞭然だが、このクラスの大名の上屋敷ともなると、かなり広大だ。江戸の大名屋敷とは、地元では一国一城の主が、参勤時に江戸城下の屋敷に住まうための、ある意味飛び地のようなものなので、それなりの敷地を与えられたのであろうが、これでも国持大名にとっては不満だろう。 この他に、災害対策用などに中屋敷、下屋敷なども用意される。

現代図2
霞ヶ関現代縮小

この現在の場所に航空写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 なお、明治図のレイヤーがずれているのが残念である。 (投稿時)

関連する風景
第78景 銕炮洲築地門跡

第75景 神田紺屋町

第75景 神田紺屋町 -安政4年(1857)11月改印
         かんだ こんやまち

399px-Hiroshige_Konya_075.jpg

現在でもその風情ある町名が残るこの紺屋町は、江戸初期より、幕府お抱えの職人が住み、藍染を行っていた職人町だ。 もともとは、家康に紺屋頭に任命された土屋五郎右衛門が、この一帯で職人に軍旗や戦装束用の生地に藍染をさせ、検品して幕府に納品していたのがその歴史の始まりらしい。 ずっと時代の下った安政期の地図にも、紺屋町3丁目を囲むように堀が残されているのがわかる。 馬喰町同様に、当初は来たるべき豊臣方との戦に備えた軍事関連拠点だったのだろう。 その後、庶民向けの浴衣や、手ぬぐいのほとんどがここで染められるようになり、流行の発信地になった。 「場違い」という言葉は、ここ以外で染められた藍染めを揶揄する意味がもともとの語源とのことだ。 (参考 千代田区ホームページ)

絵に描かれた通りが、紺屋町1丁目から3丁目にかけての通りだとすると、江戸城に向って、辻1つ、2つ、或いは3つ向こうのその先まで干し場を確認できるため、この絵を描いたのは、江戸図75の▲ポイントではないかと推理する。 ここでも、干された布に版元の宣伝である「魚」の文字が見える。 また、右の布には、「ロ」の中に「ヒ」の文字が描れたひし形状のデザインがある。 広重のヒロだ。  面白い。
熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「神田紺屋町」(名所...

江戸図75 (安政3年実測復刻江戸図)
75konyaedoC.jpg


現代図75
75konyatkyC.jpg

関連する風景
第6景 馬喰町初音の馬場


■ 梨園染手拭 名所江戸百景【戸田屋商店】手ぬぐい神田紺屋町
■ きもの人
 

第10景 神田明神曙之景

第10景 神田明神曙之景 安政4年(1857)9月 改印
かんだみょうじん あけぼののけい

第10景神田明神曙之景

神田明神は、天平2年(730)創建の古い神社で、もともとは現大手町の将門塚近辺にあった。慶長5年(1600)、徳川家康が西軍との直接対決を前にこの社で戦勝祈願をしたところ、神田祭りの日、すなわち9月15日に関が原で勝利したことから、毎年この日には、山王祭と隔年交代で、御用祭とも天下祭とも言われる将軍上覧の盛大な祭りが行われるようになった。こうしたこともあり、この神社が江戸総鎮守と言われるようになる。元和2年(1616)、江戸城郭拡張工事に伴い、城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に移動した。

さて、ここは、眺望の名所である。ここは、本郷台地中腹の東崖に面した高台にあたり、景色がとてもよかったという。ちょうど外神田(現秋葉原近辺)や隅田川を越えてて本所一帯を見下ろすような感じで、晴れた日には房総の山々や筑波山も見渡せたのではないだろうか。同じく本郷台地から北東を見下ろしたものに、「第117景の湯しま天神坂上眺望」があるが、いまはこんな眺望を望むべくもない。

この第10景は、神主、巫女と思われる姿が東側を見ており、タイトル通り曙を待っている図には違いないのだが、縁台に庶民がいない。したがって、元旦ではなく、普段の朝の情景だろう。しかし、中央の松がいかにも邪魔だ。夜明けを阻む何かを暗示しているのだろうか。

江戸図10【安政3年(1853)実測復刻江戸図より作成】
010神田明神曙之景a

現代図10
010神田明神曙之景b

関連する風景

■ 第51景 糀町一丁目山王祭ねり込
■ 第117景 湯しま天神坂上眺望

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