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第73景 市中繁栄七夕祭

第73景 市中繁栄七夕祭 -安政4年(1857)7月改印
        しちゅうはんえい たなばたまつり

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季節違いのようであるが、旧暦の7月7日は、新暦の8月中旬頃なので、第73景は秋編の巻頭に登場する。 もし江戸の七夕に、こんなにも多くの短冊が並ぶのだとしたら、それはかくも美しく壮観であったろう。 また、色合いがなんとなく秋めいているのが不思議だ。 ヘンリースミス氏の "広重 名所江戸百景” によると、この絵を描いた場所は広重自宅の近所だとしている。 右下の浴衣が広重のものだと言うのだ。 文久年間の切り絵図などを見ると、大鋸(オガ)町(現在の京橋一丁目)の一角に、狩野永徳と並んで画工広重の住居が確認できる。 また、「本朝浮世画人傳」 下巻には、広重の住居が少し南の常磐町(現在の京橋二丁目)である記載があるらしい。 原新田 実氏の "謎解き広重「江戸百」” によると、これが広重の浴衣である可能性を踏まえ、手前4つの蔵は、安政大地震(1855)で甚大な被害を受けた四方蔵と呼ばれる京橋の名所そのものであり、さらに、城(伏見櫓か?)の手前に見える火の見櫓は、かつて広重が定火消同心として仕えた、八代洲海岸の火消し屋敷のものだと推理している。 これら四点を安政実測復刻江戸図上に記してみると、なるほど広重自宅が、もし常磐町であったら、四方蔵越しに、富士山の方角を俯瞰したという説明がつく。 地震後に、大鋸町から常盤町に引っ越したのだろうか。 

安政見聞誌より 四方蔵 【安政3年(1856)3月 - 改印なし(無許可販売)】
安政見聞B

江戸図73
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現代図73 
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関連する風景
第76景 京橋竹がし
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