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第110景 千束の池袈裟懸松

第110景 千束の池袈裟懸松 辰二 安政3年(1856)2月 改印
せんぞくのいけ けさがけのまつ 

千束池

千束池(せんぞくいけ)を洗足池とも書くのは、日蓮上人が久遠寺から茨城へ療養に向かう際、現在の中原街道にあたる道を東に向かう途中、旅の疲れを癒す為に足を洗った伝説に因むという。 それが本当の話かどうかはともわれ、その時、日蓮上人が脱いだ袈裟を、一時的に掛けたという松が、タイトルにある、袈裟懸けの松だ。 ちなみに、日蓮上人は、結局この地で病状が悪化して息をひきとってしまうのだが、それを供養するために地元豪族の池上氏が私財を投じて建立したのが、池上本門寺である。  

池上本門寺の方が名所として有名であり、絵の被写体として見栄えがいいハズなのだが、その本門寺は、「江戸近郊八景之内池上晩鐘」に譲って、江戸百景にはこの静かな風景を選んだ。 この近辺の中原街道は、静かな山道であったと想像されるので、谷底に下ってパッと広がるこの湖のような池を見た旅人は、その美しさにさぞ感嘆したであろう。 今ここを訪れてみても、広重が座って写生をしている様を想像できるほど、当時の風情を今に残している。

千束比較

広重の絵を見ていただきたい。 中央右手に、主題の笠懸の松が見える。 この松の左側に塔のようなものが見えるが、これは、文政11年(1828)頃に建てられた、日蓮上人入滅五百五十遠忌塔であり、現在は、周囲に木が茂っていて、絵を描いた位置からは見えないのだが、今もちゃんとこの場所にある。 松との位置関係や大きさも妥当であるため、この絵が、江戸名所図会などからの模写ではなく、実際に広重がその場でデッサンしたのであろうと想像させる。 次に、視点を中央左手奥に移してみよう。 すると、小さな鳥居が見えてくる。 これは、千束八幡宮という古い社で、ご多分に洩れず、奥州平定時に八幡太郎義家が立ち寄ったとされる神社だ。 つまり、日蓮よりも古い時代から、中原街道の基礎となった筋が存在しており、この街道が軍事上、重要な役割を担っていたことがわかる。 ちなみに、江戸入り直前の官軍が本陣を置いたのも池上本門寺であり、勝海舟と西郷吉之助との有名な田町薩摩藩邸での江戸城無血開城(関連記事参照)の会談の約1ヶ月後、勝は、再びここで西郷と会い、事務協議を行っている。  勝はこの池上の地がよっぽど気に入ったと見え、明治になって洗足池に別荘を構えた。 また、墓もここにある。 【送料無料】それからの海舟


【明治復刻図】
千束明治

【現代図】
千束平成

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