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第44景 日本橋通一丁目略図

第44景 日本橋通一丁目略図 午八 安政5年(1858)8月 改印
にほんばしとおりいっちょうめ りゃくず  

IcchomeShirokiya.jpg

日本橋通一丁目略図というタイトルであるが、「略図」だなんてとんでもない。当時の日本橋通りの賑わいを、狭い中に色彩豊かに盛り込んだ、まさに通り一丁目の「縮図」である。 買い物客はもちろん、住吉踊り(カッポレ)の集団や、蕎麦の出前、冷やし瓜の露天販売など、江戸の風俗が存分に描かれている。 舞台となっている通り一丁目とは、日本橋から始まる東海道の最初の一区画で、日本中の誰もが憧れたであろう江戸の中心地。つまり、EDOの "CORE"。 ということで、今はここに COREDO(コレド)という駄洒落たネーミングの商業施設がある。COREDOは、かつての東急百貨店日本橋店跡。 五島慶太が、もともとここにあった老舗のデパートを乗っ取ってこうなったわけだが、その老舗こそ、この絵の背景に描かれた "釜印" の白木屋呉服店である。

白木屋は、近江長浜の材木商大村彦太郎が、寛文2年8月(1662)に江戸に進出。もともとは小間物屋(雑貨屋)であったが、後に京の呉服を扱うようになり、江戸経済の成長もあいまって、駿河町の越後屋、旅籠通町の大丸屋と並ぶ、江戸三大呉服店のひとつに成長した。 白木屋は、もちろん呉服店としてよく知られていたが、その敷地内にあった「白木観音・白木名水」というアトラクションも有名であった。

ido.jpg

「白木観音・白木名水」とは、ここにあった湧き水とそれを引き立てるための、看板娘ならぬ観音像のことである。いい伝えによると、2代目大村安全が、敷地内に井戸を掘ったところ、一体の観音像が発掘されて、さらに水が滾々(こんこん)と湧き出すようになった。そこで、店内に祠を建てて観音像を祭り、さらにその名水を庶民に配ったところ、その水を飲んで万病が癒えた人が現れた。そして、この「白木観音・白木名水」は名所となり、多くの人が白木観音詣をするようになったというのだが、店の宣伝としては良くできた逸話である。

さて、日本橋の白木屋は1967年に東急百貨店となって消滅してしまったのだが、実はそのブランドを引き継ぐ直系の店舗が海外に存在している。オアフのアラモアナセンターにある、SHIROKIYA STOREだ。そのマークをご覧いただきたい、そこで使われているのは、今もなお、広重の通一丁目略図に描かれた白木屋の "釜印" だ。( ⇒ Shirokiyaホームページで確認

Shirokihikaku.jpg

(江戸図)
shirokiedo.jpg

(現代図)
shirokiima.jpg
 
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