スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012 谷根千 SAKURAアーカイブ (エリア3)

【エリア3 根津権現門前町界隈】

三浦坂を下りると地番は根津となる。低地に位置し、台地の上に分布する寺社仏閣の生活や参拝客相手に商店が発展した下町形成のお手本のようなエリアだ。下町特有なDeepな雰囲気をタップリ残す場所だから記念碑的被写体はいくらでもある。だが、とにかく狭いので火事になったらもう無理だろう。

nez写真

>写真 12-04-08 2 11 12_R

 16.丁子屋染店 
 
 今は暗渠となったが、かつてこの辺りには、
 藍染川という小川が流れていた。安政図を
 見ると、確かに川を確認することができる。
 往時は川沿いに藍染業が多く営まれていた
 ため、川の色が藍色に染まっていたという。
 写真の丁子屋は数少ない現役の藍染店だ。


写真 12-04-08 2 15 36_R
 17.サイタ質店 
 
 どこまでも渋いサイタ質店を写真に収めた。
 35mm換算で24mm画角でやっと収まる被写体である。
 このあたりは、江戸時代の町割りがそのまま残っ
 ている。 つまり道が狭いということだ。
 冒頭にも述べたが、火事になったらもうアウトだろう。

 安政図を見て気が付いたのだが、この辺りは門前町
 に隣接した武家地だ。恐らく下級旗本や御家人の
 屋敷地と思われるが、下級武士の屋敷は意外に狭かっ
 たことがわかる。
 


写真 12-04-08 2 17 00_R
18. 鮨かじわら
 
 ランチタイムはここだ。
 保冷庫の見えない清潔感のあるカウンター、そして
 下町なのにJazzを流す洒落た空間コーディネート。
 なかなかGoodなSUSHI Barである。


根津権現社(19.冒頭写真)は、日本武尊がスサオウノミコトを奉じたのが始まりというからそれは歴史ある神社である。オリジナルの社殿は、北側500メートルほど離れた千駄木の団子坂上に鎮座していた(←関連記事参照)。 宝永2年(1705)に徳川綱豊が六代家宣になった記念事業として彼の屋敷地を新生根津社の敷地として奉納し、現在地に移転した。関東には権現造りの社殿は多く見られるが、筆者に言わせればここ社殿は格段にメンテナンスがいい。

写真 12-04-08 2 18 08_R
 20.社殿 

 この神社は東照大権現を祭っているわけではないが、江戸時代
 以降の神社建築のスタンダードである権現造りを採用している。
 権現造りとは宇佐八幡宮の様式を祖とする八幡造りの派生で、
 武家台頭の時代を反映して安土桃山時代の城郭建築の影響を受け
 たものだ。すなわち、正面に破風があり、それが奥にある別棟
 (本殿)へとつながっている。これは将軍が一段上から家臣
 を見下ろす黒書院などの構造に似ている。根津神社のそれは、
 さすが将軍家が造営したものだけあって、府内では他の追随を許
 さない豪華さと言えよう。



写真 12-04-08 2 26 11_R
 21.奉納鳥居 
 
 根津神社の敷地西側の高台には、乙女稲荷と駒込稲荷、
 ふたつの稲荷社が奉られているが、前者の乙女稲荷に
 続く参道には、不気味な程、何百も奉納鳥居が連なり
 ここの見所となっている。これは、穴守稲荷の奉納鳥
 居と並ぶ素晴らしさだ。(←関連記事参照



(撮影場所)
nz1.jpg

nz2.jpg

■ 上記地図は江戸明治東京重ね地図より作成
■ 写真はいずれも2012年4月7日 筆者撮影 【撮影機材 Canon S/100

>>>2012 谷根千 SAKURAアーカイブ (エリア1)
>>>2012 谷根千 SAKURAアーカイブ (エリア2)
スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。