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第82景 月の岬

第82景 月の岬 巳八 安政4年(1857)8月 改印
つきのみさき 

第82景月の岬

どうしてこの絵が、月の岬というのだろう。 月は出ているが、沖に岬は見えない。 そもそも月の岬とは、"月の光で、シルエットが美しく浮き出た岬" を指す。 江戸時代、江戸湊沿いにそうした風景が望める場所はいくつもあったと考えられる。 好まれた場所のひとつは、三田付近からの眺めである。 徳川家康が、このあたりから眺める岬のシルエットをたいそう気に入っていたこともあるらしい。 しかし、品川から芝浦にかけての海岸沿は、弓なりに何キロもつながった一帯なので、似た風景を楽しめる場所がいくつもあったと想像できる。 では、対象となる岬そのものは、いったいどこをさすのか。 同じ広重の、東都名所 「高輪之明月」では、高輪をビューポイントとして "品川州崎"方面を岬の対象として描いている。 また、「絵本江戸土産」の挿絵では、八ツ山から "芝浦の浜"を岬の対象として描いている。 これら2つの絵は、左右対称の構図であり、対象となる岬も正反対に位置する。 さらに、対岸の房総半島の袖ヶ浦が対象となる場合もあるだろうから、月の岬とその鑑賞スポットは、月の移動にしたがって、広範囲に変化してゆくのだろう。

東都名所 「高輪之明月」
高輪之明月400 
この絵は、高輪から品川州崎にかけての海岸線を月の岬と捕らえている。図左下に高輪大木戸の石垣が見える。 右下あたりが、車町(牛町)だ。 (第81景 高輪うしまち参照)

絵本江戸土産 「月の岬」
八ツ山400 
このケースでは、上記とは反対に、御殿山(第28景 品川御殿やま 参照)から見て、八ツ山から高輪~芝浦にかけての海岸線を月の岬と捕らえている。 八ツ山右下の家屋が、ちょうど品川宿の江戸側の入り口付近にあたる。

で、本題の月の岬であるが、これは品川宿に存在した相模屋、通称土蔵相模という食売旅籠の2階からの風景であるとされている。(他説あり) 土蔵相模は、御殿山の真下であるので、あと4~5歩前に出て、手すりから顔を出せば、右手奥に、房総半島の袖ヶ浦、左手には高輪から芝浦にかけての海岸線、ちょうど絵本江戸土産 「月の岬」に似た風景が見えるはずである。 なぜこの絵の舞台をここに選んだのか。 土蔵相模と品川州崎は目と鼻の先である。 この絵を書いた時には、州崎にはもう無骨な要塞が建造されていた (第83景品川すさき参照)。 つまり反対側からこのあたりを、つまり「高輪之明月」の時のように描くことは、もはやできなくなっていたのかもしれない。 娼妓を横に寝かせてみよう。 この絵の岬が彼女自身であることがわかる。 娼妓の姿を美しい"月のシルエットの岬" に見立てて、失われた風景を再現させたこの演出は大変ファンタジックでかつ、奥が深い。(10/09/11) 【送料無料】東海道品川宿 

安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】 画像マウスクリックで拡大
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