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第6景 馬喰町初音の馬場

第6景 馬喰町初音の馬場 -安政4(1857)年9月改印
       ばくろちょう はつねのばば

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馬喰町の名は、徳川家康が関ヶ原出陣に必要な数百頭の軍馬を管理するために、馬喰(馬工郎=ばくろう)と呼ばれる馬方を住まわせたことに由来する。その後も隣町の大伝馬町・小伝馬町に幕府の伝馬役を勤めた大勢の馬喰が住んでいた。 もともとは、大規模な馬場があったと考えられるが、明暦の大火(1657)後に縮小され、幕末期には馬場の名を残すだけの広場になっていたようだ。 江戸名所図会の馬喰町馬場を見ても、馬場の一角に火の見櫓があることがわかり、火除け地の意味合いもあったのだろう。 広重の絵の正面で反物が干されているが、馬場の東南側の通りの中ほどに、紫屋染物店があった。 したがって、この絵は江戸図6の▲地点から、西北の方向を描写したことは間違いないだろう。 広重の絵と、名所図会の火の見櫓の半鐘の位置も一致する。

(江戸名所図会 馬喰町馬場)
名所図会馬喰町馬場

また、馬喰町には、町奉行管轄外である関八州の幕府直轄領の民事を司る関東郡代屋敷があった。また、隣の大伝馬町は江戸有数の問屋街であった。そのため近郊から訴訟のために出てきたものや、問屋へ売り込みのためにやってきた商人を泊める宿が連なり、大変賑やかな一角であったらしい。 

江戸図6 【安政3年(1856)実測復刻江戸図】
馬喰町江戸縮小

現代図
馬喰町東京縮小

中央区馬喰町の現在のこの地へ、航空写真で訪れてみる

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