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第75景 神田紺屋町

第75景 神田紺屋町 -安政4年(1857)11月改印
         かんだ こんやまち

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現在でもその風情ある町名が残るこの紺屋町は、江戸初期より、幕府お抱えの職人が住み、藍染を行っていた職人町だ。 もともとは、家康に紺屋頭に任命された土屋五郎右衛門が、この一帯で職人に軍旗や戦装束用の生地に藍染をさせ、検品して幕府に納品していたのがその歴史の始まりらしい。 ずっと時代の下った安政期の地図にも、紺屋町3丁目を囲むように堀が残されているのがわかる。 馬喰町同様に、当初は来たるべき豊臣方との戦に備えた軍事関連拠点だったのだろう。 その後、庶民向けの浴衣や、手ぬぐいのほとんどがここで染められるようになり、流行の発信地になった。 「場違い」という言葉は、ここ以外で染められた藍染めを揶揄する意味がもともとの語源とのことだ。 (参考 千代田区ホームページ)

絵に描かれた通りが、紺屋町1丁目から3丁目にかけての通りだとすると、江戸城に向って、辻1つ、2つ、或いは3つ向こうのその先まで干し場を確認できるため、この絵を描いたのは、江戸図75の▲ポイントではないかと推理する。 ここでも、干された布に版元の宣伝である「魚」の文字が見える。 また、右の布には、「ロ」の中に「ヒ」の文字が描れたひし形状のデザインがある。 広重のヒロだ。  面白い。
熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「神田紺屋町」(名所...

江戸図75 (安政3年実測復刻江戸図)
75konyaedoC.jpg


現代図75
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