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第81景 高輪うしまち

第81景 高輪うしまち -安政4年(1857)4月改印
たかなわ うしまち

081高輪うしまち

寛永11年(1634)増上寺安国殿の建築で、巨石や木材を運搬するために京より大勢の「牛屋」が動員された。彼らは、増上寺普請以外にも、江戸城拡張や外堀の掘削の工事、或いは江戸湊の埋め立てに体よく使役された。 牛車は、重量級の輸送手段として大変有益であったため、幕府は、今後も役立つものと考え、芝高輪に土地を与え、牛の飼育を命じた。 これが、車町、俗称「牛町」の起こりである。牛屋は、膨張する江戸の普請で大繁盛し、元禄年間には1000頭を越える牛が高輪にいたといわれる。

広重の絵は、車町が海に接する一角よりほぼ東を望んだものだろう。 水平線左に見えるのが房総半島だとすると、海上に浮かぶ砲台場は、左より、第3台場、第6台場、第5台場ではないだろうか。 車輪の裏には第2台場が隠れているかもしれない。 江戸百景の時代は、凶作による飼料の高騰や疫病の流行などで牛の数は随分減っていたらしい。 そこで、引き手のいない大八車と、牛模様の野良犬を描いて最盛期のノスタルジーを表現したのか。 ちなみに約5年後に2代目広重もこの場所を描いているが、そこにはちゃんと牛が復活している。 なお、高輪願生寺には、牛供養のための牛塚が残る。

081高輪うしまち2 東都三十六景 高輪海岸 広重(歌川広重二代)
 文久2年(1862)3月

この作品には、アメリカの国旗が掲げられた船舶が描かれている。 開港されたのは横浜なので、ここまで来てれば本当は脅威なのだが、亜米利加人向け土産用としてデザインされたのか。 また台場 (Fort Island)の石垣が緻密に書かれている点も大変興味深い。 (画像クリックで拡大)


江戸図81 【安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】
081高輪うしまちA

現代図81
081高輪うしまちB

■  高品質の復刻浮世絵歌川広重「高輪うしまち」
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