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第53景 増上寺塔赤羽根

第53景 増上寺塔赤羽根 -安政4年(1857)1月改印
ぞうじょうじとう あかばね

053_395px-100_増上寺塔赤羽橋

芝増上寺は、上野寛永寺とともに徳川家の菩提寺であり、現在の約6倍の寺域に学僧を含め約3000人を擁する大寺院であった。 その境内の鬱蒼とした丘 (丸山古墳丘 現"ザ・プリンス パークタワー東京付近”)に広重が描いたこの五重塔が建っていた。 もともとは、3代将軍家光の時代に、後に大老となる酒井雅楽頭が建立したものだが、広重の描いたのは、文化3年(1806)に再建されたものだ。

この絵の構図は、この五重塔の東後方から西南を俯瞰したものに間違いない。 中央に新堀川(注)と赤羽橋、向こうに見える武家屋敷は、久留米藩有馬家24万石の上屋敷である。 赤羽根の有馬様と言えば、その長く連なる長屋塀、敷地内にある水天宮、そして火の見櫓が有名で、風景画や明治初期の写真によく登場する。 そうした作品を見るにつけ、このあたりが奈良、京都を思わせる厳かな雰囲気の場所であったことが偲ばれる。 言われてみれば、赤羽根という地名もなかなか風流だ。

写真53は、広重の絵と極めて似た視点で筆者が撮影したものである。 分かりやすくするために説明を書き込んだが、広重が描写したのはまさにここだと想像できてうれしい。


写真53 (画面クリックで拡大)
53比較


(注)渋谷川の河口から上って約1.6キロの区間は、延宝3年(1675)麻布地区への物資の運搬のために整備され、また、江戸城最南端の外堀として新堀川と呼ばれた。 この時の工事が河口から10箇所に分けて行われ、船着場(現在の一の橋公園一帯付近)の作られたその10番目の工区が、その後麻布十番という地名として残った。 十番はこの赤羽橋のあたりから約0.5キロ上流(絵の奥)であるから、ここは六番工区あたりであろうか。 


江戸図53【安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】
053増上寺塔赤羽根A

現代図53
053増上寺塔赤羽根B

関連する風景
第79景 芝神明増上寺

■ ザ・プリンス パークタワー東京
■ 徳川将軍家十五代のカルテ
■ 増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体

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