第1景 日本橋雪晴
第1景 日本橋雪晴 ( にほんばしゆきはれ) -安政3年(1856)5月改印
経度139度46分45.685秒 緯度35度40分53.866秒 付近上空より、西南方向を描写

日本橋を中心に置き、豪快に進む船とその手前に当時そこにあった魚河岸の活況をダイナミックに描いた正月の風景である。 遠方より富士山、江戸城、一石橋を確認できるので、江戸図 (1)の▲印 付近の上空から矢印の方向を俯瞰したものと特定できる。 江戸城内にそびえる三層の櫓は富士見櫓であろうか。 だとするとそのすぐ右下の三角屋根の建造物は江戸城本丸御殿ということになる。 当時の風景画は、取締りを恐れてか、幕府の施設を直接的に描くことはしないのだが、日本橋川の流れを江戸城に向って末広がりに表現することにより、およそ10年後に滅亡する徳川幕府をヨイショしているのだとしたら素晴らしい。それはそうとして、やはり江戸城越しに見える富士山というのは、ある意味江戸風景の象徴ということで、また正月絵は縁起が良いということで、敢えてシリーズの巻頭にこの作品を持ってきたのであろう。
熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「日本橋雪晴」(名所...
江戸図 ( 1) 【安政3年(1856)実測復元江戸図より】

実測江戸図で確認すると、一石橋は日本橋よりもやや北側に位置するため、実際にはこの角度から2本の橋をこのような姿で同時に捉えることはできない。 もし一石橋をこう描くなら、日本橋の北側の広場も視野に入ってくるはずである。 この描写は、全体のバランスをとるためにデフォルメされているといえそうだ。 切絵図ではここまでは分析できない。
現代図

現在のこの場所を航空写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 なお、明治図のレイヤーがずれているのが残念である。 (投稿時)
経度139度46分45.685秒 緯度35度40分53.866秒 付近上空より、西南方向を描写

日本橋を中心に置き、豪快に進む船とその手前に当時そこにあった魚河岸の活況をダイナミックに描いた正月の風景である。 遠方より富士山、江戸城、一石橋を確認できるので、江戸図 (1)の▲印 付近の上空から矢印の方向を俯瞰したものと特定できる。 江戸城内にそびえる三層の櫓は富士見櫓であろうか。 だとするとそのすぐ右下の三角屋根の建造物は江戸城本丸御殿ということになる。 当時の風景画は、取締りを恐れてか、幕府の施設を直接的に描くことはしないのだが、日本橋川の流れを江戸城に向って末広がりに表現することにより、およそ10年後に滅亡する徳川幕府をヨイショしているのだとしたら素晴らしい。それはそうとして、やはり江戸城越しに見える富士山というのは、ある意味江戸風景の象徴ということで、また正月絵は縁起が良いということで、敢えてシリーズの巻頭にこの作品を持ってきたのであろう。
熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「日本橋雪晴」(名所...
江戸図 ( 1) 【安政3年(1856)実測復元江戸図より】

実測江戸図で確認すると、一石橋は日本橋よりもやや北側に位置するため、実際にはこの角度から2本の橋をこのような姿で同時に捉えることはできない。 もし一石橋をこう描くなら、日本橋の北側の広場も視野に入ってくるはずである。 この描写は、全体のバランスをとるためにデフォルメされているといえそうだ。 切絵図ではここまでは分析できない。
現代図

現在のこの場所を航空写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 なお、明治図のレイヤーがずれているのが残念である。 (投稿時)
スポンサーサイト
この記事へのコメント