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第91景 請地秋葉の境内

第91景 請地秋葉の境内 安政4年(1857)8月改印
うけち あきばのけいだい

第91景請地秋葉の境内

鎌倉時代に地頭が支配する土地のことを請地(うけち)というのだが、新編武蔵風土記稿によると、「(この)請地村は浮地なり、元大河(隅田川のことであろう)に辺せし地なれば、浮地の義(意味)を以て名付けしを仮借(当て字に)して今の地(字)を用ゆ」とあるので、地頭とは関係なく、浮いた地では格好悪いというので、請地という漢字が当てられた集落のようだ。 日本特有の風流駄洒落である。

さて、その請地村に千代世と呼ばれる森があり、そこには正応2年(1289)に創建された古びた稲荷神社があった。 江戸時代の初め、善財という霊僧がここに秋葉大神の神影を刻んで社殿に納めたが、その後、元禄15年(1702)に本多氏の寄進によって立派な社殿が造営され、秋葉稲荷両社と称されるようになった。 さらに別当として、境内に満願寺も建立された。

秋葉大神の神体は天狗で、火を背負って白狐にのった像であることから、防火の神とされ、火事の多かった江戸で武家や庶民の篤い信仰を集めた。 ちなみに、万世橋以北の外神田一帯には、明治になっても火事が多かったことから、この秋葉大神を新たに勧進し、さらに火除地としての原っぱを用意して鎮火を祈念した。 秋葉原(通称アキバ)の地名の由来はここにある。

さて、請地の秋葉に話を戻すが、この境内には、池や筑山などもあり、また秋の紅葉はとても有名だった。 江戸図にわざわざ紅葉マークがあることからもそれが分かる。 また、寺社仏閣に付き物の門前町には、高級料亭も並び、鯉料理が名物だったようだ。 さらに、境内に神泉の松というのがあり、そのウロ(空洞の幹)から沸く水は万病に効くという評判が話題を呼び、大名の奥方や大奥女中もこぞって訪れたらしい。 今ではあまり知られていないこの地が、かつては絶好の景勝地であったことが偲ばれる。

秋葉広重
なお、第91景左手前の庵で写生をしているのは、広重本人だと言われている。 確かに3代豊国が描いた広重の肖像画の袈裟と色が一致する。 江戸時代、アキバといえば風流オタクの聖地だったということか。 




江戸図91 【安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】
091請地秋葉の境内A

秋葉神社の敷地は、満願寺を含み現在の10倍はあったことがわかる。第91景の描写地を特定することは困難だが、第91景の池と江戸図の池の形を比較して、※地点であると推定した。

現代図91
091請地秋葉の境内B

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