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第92景 木母寺内川御前栽畑

第92景 木母寺内川御前栽畑 安政4年(1857)12月改印
もくぼじ うちかわ おんせんざいばたけ

第92景木母寺内川御前栽畑

江戸百景には、中世以前の伝説の舞台となった地を描いているケースがいくつかある。 今では碑しかないような伝説の地でも、幕末ならまだまだ中世を思い起こすことができるような風景が残っていたのだと考えると、当時の風景画は本当に史料的価値が高いと思う。

木母寺は、梅若丸(うめわかまる)伝説のゆかりの地である。平安時代中期、京都の北白川の官僚であった吉田少将惟房卿の一子梅若丸は7歳の時父と死別し、比叡山の稚児となった。 12歳の時、宗門争いに巻き込まれ、身の危険を感じて下山したが、その時に人買いの藤太にだまされ東国へ連れ去られる。やがて、この地まで来た時、病が悪化し、藤太の足手まといとなったため、隅田川に投げ込まれてしまう。 いったんは、梅若丸の高貴な身分を知った里人に助けられ、手厚い介抱を受けるのだが、

尋ね来て 問わば答えよ 都鳥 
   すみだ川原の 露と消えぬと

という歌を遺して息絶えた。 それを哀れに思った忠圓阿闍梨という僧が、貞元元年(976)この地に塚を築き柳を植えて供養した。 これが今もこの地に伝わる梅若塚なのだという。

時代が下り、慶長12年(1607)、前関白の近衛信尹が塚を参拝した折、そこにあった念仏堂は木母寺と改名され、朱印寺として幕府に手厚く保護されるようになった。 またこのあたりは、よっぽど風光明媚な場所であったのだろう、明暦3年(1657)には木母寺の境内に将軍の別荘とも言える隅田川御殿が建てられ、歴代の将軍や京からの訪れも頻繁にあったらしい。 タイトルに見える御前栽畑とは、その御殿付属の畑のことである。

そんな隅田川御殿も、天明6年には廃止され、この一帯は庶民に開放され、水神社(現隅田川神社)とセットで京風の茶屋遊びが楽しめる、そんな江戸近郊の秘蔵リゾートとなった。

ここは、
第37景 墨田河橋場の渡かわら竈
~第36景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図
~第35景 隅田川水神の森真崎 
 
とシリーズで続く、隅田川上り遊覧の終着点である。
この第92景は秋の図ではあるが、江戸図を見ると桜の名所だったこともわかる。


江戸図92 【安政3年実測復刻江戸図より作成】
092木母寺御前菜畑A

現代図92
092木母寺御前菜畑B

関連する風景
第35景 隅田川水神の森真崎
第36景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図
第37景 墨田河橋場の渡かわら竈
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