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第106景 深川木場

第106景 深川木場 安政3年8月 改印
ふかがわ きば

第106景深川木場

今も深川にその地名を残す木場というのは、文字通り、材木置場(貯木場)のことである。徳川家康の入府以来、江戸城や大名屋敷、寺社仏閣や町家の造営で、相当な材木の需要があった。江戸初期、材木商は、江戸中心に近く且つ水運に都合のよい、日本橋材木町を中心に南茅場町、木挽町などに店を構えていたが、大火の際に、その木材が延焼の原因となるという理由で、幕府は、寛永18年(1641)材木置場を隅田川対岸の永代島(佐賀町あたり)に集めることを決めた。ここが木場(のちに元木場)と称され、この地名の起こりとなった。さらに、元禄14年(1701)、市街地の拡大と材木需要のさらなる増加に伴い、木場は少し東よりのこの地に移転し、9万坪とも言われる広大な敷地を持つ深川木場が誕生した。

材木商は、呉服商、両替商と並ぶ江戸の花形商人であり、火事の繰り返される江戸においては、その建築資材供給元として大変儲かる商売だった。殊に紀伊國屋文左衛門は、柳沢吉保への賄賂で御用商人となり、度重なる火事の後の再建工事や、上野寛永寺の普請などで巨額の富を得たことはよく知られている。しかし、そんな紀伊國屋も、実はこの木場の火事で膨大な貯木を消失させてしまい、結局、それが没落の原因となったという。 なんとも皮肉な話だ。

しかし、紀伊国屋程の豪商はいなくても、木場は材木商のサンクチャリとして継続してゆくことになる。明治になるまで材木豪商の別荘などが並び、なかなか風情のあるところだったらしい。絵本江戸土産にも「この辺、材木屋の園多きにより名を木場といふ。この園中、おのおの山水のながめありて風流の地と称せり」 とある。

この第106景、構図のバランスも最高で、なかなかいい雪景色だ。魚屋マーク入りの番傘の配置も絶妙である。この絵の描かれた場所は解明されていないようだが、水幅が広いことから、この流れは三十間川ではないか。 あたりの様子から、流れの合流地点での写生と考え、中央奥に見える橋を要橋(今はこの場所に橋はない)ととらえ、江戸図106中の地点を描写位置と推定したが、どうだろう。

江戸図106
106木場a

現代図106
106木場b

写真106
木場写真

木場親水公園に、第106景の雰囲気を再現したと思われる一角がある。但し、材木を置いていないのが誠に残念だ。火災を恐れての配慮なのか。(2009年12月13日 筆者撮影)

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