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第8景 する賀てふ

第8景 する賀てふ 安政3年(1856)9月 改印
するがちょう

第8景する賀てふ

江戸時代にそこにあったものが、今もそこにあるのは江戸好きにはたまらなく嬉しいものである。三井高利が、江戸本町(のち日本橋駿河町に移転)に「越後屋八郎右衛門」の暖簾を掲げたのは、高利52歳の時である。もともと、江戸で呉服商を営んでいた兄に、その商才を疎まれて故郷の松坂に留め置かれていた高利は、兄が逝去した延宝1(1673)年、ここぞとばかりに一大奮起し、京都に仕入れ屋を、そして江戸に新たな呉服店を開業した。

当時の商いは、支払いサイトが半年、或いは一年というクレジット販売が普通であったので、金利負担の分高価となり、また回収リスク軽減のため顧客層も大名などに限定されていた。 高利が導入したキャッシュオンデリバリ(現銀掛け値なし)のしくみは、現金販売による低価格化を実現し、薄利多売で商圏を庶民にまで拡大させたことが新しい。
越後屋は、公儀呉服御用はもちろん、併設した両替店で為替御用 (政府銀行のようなもの)を一手に請負うなどして莫大な財産を築き、三井家中興の祖となった。そして今もなお、直系の三越や三井系の金融機関、そして三井本館がこの図と同じ敷地で営業する。

写真8
江戸東京博物館の越後屋呉服店のジオラマ(筆者撮影)
越後屋模型写真

駿河町は、一直線先に富士山が見えたので、この地名がついたという。「やり霞」を払えば、中心にちょうど江戸城西の丸御殿、右端に本丸の富士見櫓が見える方角だ。名所江戸百景には、白木屋(→東急百貨店→コレド)、松坂屋(→上野松坂屋)、大丸、田端屋などの大店(おおだな)が登場し、どれもその賑わいが描かれてはいるが、やはり、越後屋(→三越)を描いたこの図には少し違った空気が漂っている。 絵を見ると、馬に乗った旗本、頭巾をかぶった忍びの武士、女中の集団、おのぼりさん、いろいろな人物が詳細に描かれている。 越後屋はまさに、江戸商業のシンボル的存在であったのだろう。「する賀てふ」の賀の字もおめでたい。

江戸図8
008する賀てふa

現代図8
008する賀てふb

関連する風景
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■ 第13景 下谷広小路
■ 第44景 日本橋通一丁目略図
■ 第74景 大伝馬町ごふく店

2010年1月8日投稿記事 編集後再掲

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