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第29景 砂むら元八まん

第29景 砂むら元八まん 安政3年(1856)4月 改印
すなむら もとはちまん

第29景砂むら元八まん

名所中の名所であるはずの深川八幡宮を、江戸名所百景で大々的に取り上げなかったのは、こっちをクローズアップさせたかったからかもしれない。砂村の富賀岡(とみがおか)八幡宮は、深川の富岡(とみおか)八幡宮の旧地であったということから、通称「元」はちまん様として親しまれてきた。江戸時代になって、深川が埋立地として開拓されると、土地の守り神としての産土鎮守神 (うぶすちんじゅのかみ)が必要となり、そこで、波除八幡 (なみよけはちまん)として知られる武蔵国金沢郷の富岡八幡が招聘された。社殿は、深川の現在地に決まったが、そのご神体は、この近くに古くからある祠に伝わる八幡像を勧請 (分霊を他の神社に移すこと)した。 そのオリジナルの祠がのちに「元」八幡と言われるようになったという。(他説あり)

但し、そもそも、その祠のあった砂村地域は富岡八幡宮の造営(寛永4年:1627年)よりも後に、砂村新左衛門により新田開発(万治2年:1659年)された土地なのだから、干潟だったこの場所に古くから八幡像の祠があったというのは怪しい。しかも、この像は、平安時代後期に作られ、時代を得て里見氏や太田氏の保護を得たのち、この地に祀られていたというのだから驚きだ。すべては想像の域を越えないが、これは、名所作りのために作られた逸話だという気がしてならない。 3万本の桜並木があったとも言うが、江戸市中からはもちろん、深川八幡詣でのついでにふらっと来るには遠すぎる。 昭和初期の永井荷風でさえ、彷徨の末に偶然たどり着けたような僻地だ。 しかし、絵を見る限り、なんとも牧歌的でいい雰囲気の場所ではないか。

写真29 富賀岡八幡宮現景
元八まん写真
* 写真はいずれも筆者撮影(2009年11月)

広重の視点は、江戸図29中の矢印にほぼ間違いないだろう。今でこそ、ここから中川(荒川)の河口越しに房総半島を望むべくもないが、この場を散策してみると、広重の絵に描かれた干潟の畦道が今もそのまま舗装されて残るのがわかる。江戸マニアなら押さえて置きたいスポットだ。


江戸図29 【安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】
029砂村a

現代図29
029砂村b

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第68景 深川八まん山ひらき 
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