第3景 山下町日比谷外さくら田
第3景 山下町日比谷外さくら田 -安政4年(1857)12月改印
経度139.45.51.216 緯度35.40.8.871 付近より、西北方向を描写

熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「山下町日比谷外さく...
江戸百景の中の江戸城近辺を描いた図の中で、これほど今となっては描写した場所の手がかりが皆無な場所もめずらしい。 この堀は明治以降に埋めたてられ、また、すぐ目の前には現在の山手線や新幹線が通る鉄道が敷設され、すっかり地形が変えられてしまったからだ。 しかし、復元江戸図を見れば、この場所が江戸図3の▲地点付近から西北方向を臨んだ風景であることが容易に特定できる。 すなわち、堀の向こうの建物は、佐賀藩鍋島家35万7千石の上屋敷の門とその長屋塀、堀を隔てて右側に見えるのは、笠間藩牧野家8万石の上屋敷の石垣の一角である。 現在の秦明小学校脇のガード下の手前あたりから、日比谷公園の方向を見た図なのだが、今ここを訪れても、ここにこんな風景が開けていたとは誰が想像できるだろうか。
江戸図3 【安政3年実測復元江戸図より】

本図中にある鍋島家の長屋塀の左端を右に曲がると外桜田通りで、第2景の霞ヶ関の坂下あたりへと続く。 第2景と同じ正月の風景だが、描写日時は別の日だろう。 凧の上がる向きが違う。 実際、改印もおよそ1年違う。 安政年間の地図を実測復元した江戸明治東京重ね地図を用いると、下記のように現代のこの場所がはっきり見えてくる。
現代図3

この場所に航空写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 なお、明治図のレイヤーがずれているのが残念である。 (投稿時)
経度139.45.51.216 緯度35.40.8.871 付近より、西北方向を描写

熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「山下町日比谷外さく...
江戸百景の中の江戸城近辺を描いた図の中で、これほど今となっては描写した場所の手がかりが皆無な場所もめずらしい。 この堀は明治以降に埋めたてられ、また、すぐ目の前には現在の山手線や新幹線が通る鉄道が敷設され、すっかり地形が変えられてしまったからだ。 しかし、復元江戸図を見れば、この場所が江戸図3の▲地点付近から西北方向を臨んだ風景であることが容易に特定できる。 すなわち、堀の向こうの建物は、佐賀藩鍋島家35万7千石の上屋敷の門とその長屋塀、堀を隔てて右側に見えるのは、笠間藩牧野家8万石の上屋敷の石垣の一角である。 現在の秦明小学校脇のガード下の手前あたりから、日比谷公園の方向を見た図なのだが、今ここを訪れても、ここにこんな風景が開けていたとは誰が想像できるだろうか。
江戸図3 【安政3年実測復元江戸図より】

本図中にある鍋島家の長屋塀の左端を右に曲がると外桜田通りで、第2景の霞ヶ関の坂下あたりへと続く。 第2景と同じ正月の風景だが、描写日時は別の日だろう。 凧の上がる向きが違う。 実際、改印もおよそ1年違う。 安政年間の地図を実測復元した江戸明治東京重ね地図を用いると、下記のように現代のこの場所がはっきり見えてくる。
現代図3

この場所に航空写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 なお、明治図のレイヤーがずれているのが残念である。 (投稿時)
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