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第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場

第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場  安政4年(1857)1月 改印
たかだ すがたみのはし おもかげのはし じゃりば

第116景俤の橋

東海道四谷怪談では、死んだお岩と小仏小平は、民谷伊右衛門によって戸板の表裏に釘打ちにされ、神田川に流される。有名な一幕だが、神田川と言ってもいったいどこから流されたのか。四ツ谷怪談というくらいだから、やはり、四ツ谷見附近辺なのだろうか? しかし、四ツ谷濠は神田川ではない。ではどこなのか。 

ここで少し解説をしよう。四ツ谷怪談の舞台は、一般に四谷左門町であると思われている。 現在も四ツ谷三丁目至近に新宿区左門町という地名が残り、お岩稲荷もある。 しかし、鶴屋南北の東海道四ツ谷怪談でいうオリジナルの四ツ谷は、実は、ここではなく、雑司が谷の高田四家町と見るのが正しい。 四ツ谷怪談のト書きには、「ふたりの死骸、戸板へ打ちつけ、姿見の川へ流してすぐに水葬」というくだりがある。 もうお気づきであろう。 戸板が流されたのは、この絵に描かれた神田川(神田上水)の「姿見の橋」近辺であり、くだんの高田四家町は、この絵でいうと、後方左の丘の上に存在していた集落なのである。鬼子母神を有する大行院の門前町であり、実際にもなかなかスピリチャルな場所柄だ。 至近の南蔵院は、怪談「乳房の榎」の舞台でもある。 
(高田四家町拡大図 現目白通り 高田一丁目交差点付近)
yotsuya_convert.jpg

 では、四谷左門町は何なのか。こっちは、物語のモデルとなった実在の田宮家の屋敷のあった場所だ。南北は、縁者の住む実際の場所ではまずいだろうとのことで、東海道という冠をつけて地域を漠然とさせると同時に、同じ読みの高田四家町を舞台に選んで話を脚色した。事件が起きるのも、四谷左門町の武家屋敷ではなく、高田四家町の町人長屋である。 そもそも、実際のお岩さんの話は怪談ではない。

「姿見の川」及び「姿見の橋」、或いは「俤の橋」(面影橋)は、まだ美しかったお岩が、自分の姿を映して御櫛をといていた場所であり、これは、神田上水が鏡の代わりになるほど澄んでいたことを示唆している。 そんな清い上水に死体を捨てるという常識ハズレの発想に、鶴屋南北の狂気への美学があった。 流された遺体は、江戸川、神田川(外濠)を下り、隅田川に抜ける。 そして、今度は小名木川に入り、最後に流れ着くのが隠亡掘。 「戸板返し」の亡霊が暴れる場所であり、そこは、本所の下水溝だ。

しかし、実際にはこの筋書通りには行かないだろう。 なぜなら、「姿見の橋」のスグ下流には、死体ならきっと引っかる巨大な障害物があるからだ。 (神田上水の上流へ↑ 下流へ↓) 【送料無料】東海道四谷怪談


安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】 画像マウスオンで現在



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