第4景 永代橋佃しま
第4景 永代橋佃しま -安政4年(1857)2月改印
えいたいばし つくだじま

隅田川にかかる永代橋から佃島を臨んだ風景であるので、容易に場所の特定はできるであろう。 しかし、江戸図を見ると当時の永代橋は現在とは違い、日本橋側の北べり沿いにかかっていたことがわかる。 ここは日本橋川の出入り口であり、魚河岸や江戸城へとつながる道三堀への起点ともいえる所なので幕府の船手番所があった。 なので、右に描かれた舟は御用船なのかもしれない。 図中に火の玉らしきものが見え気味が悪いが、白魚をとるための漁火らしい。 なお、タイトルには佃島とあるが、沖に見えるのは、当時無宿人の社会復帰支援施設である人足寄場のあった石川島とするのが正解だろう。 版画であるにもかかわらず、プラネタリウムを思わせる星空が美しい。
安政2年(1855)10月に起こった安政大地震でこの永代橋は倒壊し、その修復が始まったのは、安政4年(1857)年の夏ごろらしい。 この絵の改印は、安政4年(1857)2月なので、広重がこの絵を書いた時には、まだ渡れなかった可能性がある。 なので、しかたなく水上からの描写となったのかもしれない。
熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「永代橋佃しま」(名...
江戸図4 【安政3年実測復元江戸図より】

現代図4

現在のこの付近、日本橋箱崎町へ空中写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 江戸明治東京重ね地図なら、明治図も正確に重なるのだが、Gooマップ明治はぴたりと重ならないのがとても残念である (投稿時)
■ 江戸のれん
■ 三河の佃煮専門店 美食倶楽部
えいたいばし つくだじま

隅田川にかかる永代橋から佃島を臨んだ風景であるので、容易に場所の特定はできるであろう。 しかし、江戸図を見ると当時の永代橋は現在とは違い、日本橋側の北べり沿いにかかっていたことがわかる。 ここは日本橋川の出入り口であり、魚河岸や江戸城へとつながる道三堀への起点ともいえる所なので幕府の船手番所があった。 なので、右に描かれた舟は御用船なのかもしれない。 図中に火の玉らしきものが見え気味が悪いが、白魚をとるための漁火らしい。 なお、タイトルには佃島とあるが、沖に見えるのは、当時無宿人の社会復帰支援施設である人足寄場のあった石川島とするのが正解だろう。 版画であるにもかかわらず、プラネタリウムを思わせる星空が美しい。
安政2年(1855)10月に起こった安政大地震でこの永代橋は倒壊し、その修復が始まったのは、安政4年(1857)年の夏ごろらしい。 この絵の改印は、安政4年(1857)2月なので、広重がこの絵を書いた時には、まだ渡れなかった可能性がある。 なので、しかたなく水上からの描写となったのかもしれない。
熟練の職人技が光る創業80年の木版画工房直営 高品質の復刻浮世絵歌川広重「永代橋佃しま」(名...
江戸図4 【安政3年実測復元江戸図より】

現代図4

現在のこの付近、日本橋箱崎町へ空中写真で訪れてみる
リンク先の Gooマップでは、この付近の現代地図及び航空写真のみならず、昭和22年、昭和38年の航空写真と、明治図も確認できる。 江戸明治東京重ね地図なら、明治図も正確に重なるのだが、Gooマップ明治はぴたりと重ならないのがとても残念である (投稿時)
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