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第104景 小梅堤

第104景 小梅堤  改印 【巳二】 安政4年(1857)2月
こうめづづみ

小梅104

これは、背景と比較して、手前の橋を異様に大きく描くと同時に、本当は直線である亀有上水(四ッ木通用水/曳船川)をわざと歪曲させることにより、奥行き感の演出に成功した遠近法の名画である。 片目をつぶって見ると、3D画のように見えてくるから不思議だ。木の位置も大きさもよく計算されており、右下の子豚のようなパピーも動きがあってなかなか可愛い。

さて、この小梅という場所は、もともと、隅田川沿いに点々と存在していた浮地(洲のようなもの)のひとつであったが、亀有上水の整備とともに土地が形成されていった場所だ。今に残る押上の地名も、川から寄せられた土の堆積を意味している。ここがどうして名所であったかというと、風光明媚な景色とあわせて、しばられ地蔵で有名な南蔵院と、その境内に、例のゆりかもめの歌を詠んだ在原業平の肖像画を所蔵する業平天満宮があったからに他ならない。ちなみに、在原業平と菅原道真は交友があり、その縁から業平の絵が天神様に預けられるようになったと考えられる。なお、小梅の地名由来は、諸説あるが、もともとは、天神様の梅ノ木と関係があるのかもしれない。

この小梅界隈には、参拝客目当ての料亭や茶屋なども軒をつらねていた。浅草から気軽に足を伸ばせる地として、なかなか都合の良いところだったのだろう。江戸末期の高級料亭の番付表である ”即席会席御料理" というチラシには、この場所にあった「小梅小倉庵」という料亭が中央に掲載されている。ここは、大名なども忍びで訪れるような高級料亭で、同じ広重の "江戸高名会亭尽" の一枚である「本所小梅小倉庵」を見るに、本館らしき大きな建物の前に、密談用の離れが点々と並んでいる様子がわかる。屋根付きの小舟では、女性が釣をしているが、釣った鯉をそのまま活造りにでもしてくれるというのだろうか。なんとも贅沢である。

( 江戸高名会亭尽より 『本所小梅小倉庵』 広重)
江戸高名会亭尽


この小梅一帯は、明治になると工業地帯となり、観光地としての姿は、すっかり忘れ去られてしまう。そんな小梅が、150年の時を経て再び脚光を浴びつつある。そう、ここに天満宮の小さな梅ノ木が天を貫く木 (Skytree)となって帰ってくるのだ。 武蔵国に語呂を合わせて、高さを 634m(ムサシ)としたようだが、浅草から見て隅田川の向うの地(向島)は、実は下総国である。武蔵国を見下ろすという意味ならそれもわかるが、実際には関八州すべてを見渡せるだろう。ちなみに、筆者の世田谷の自宅より この "Tokyo Sky Tree” が見え出した。ここから見えるのだから、相当大きな梅ノ木である。(2010年5月23日投稿) 

安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】 koumea.jpg

koumeb.jpg
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