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第112景 愛宕下藪小路

第112景 愛宕下藪小路 巳十二 安政4年(1857)12月 改印
あたごした やぶこうじ

江戸百藪
■ 歌川広重『愛宕下藪小路』木版画

愛宕下藪小路というタイトルであるが、この絵には肝心の藪小路は描かれていない。 淵に小川の流れる正面の通りは、途中、愛宕神社の「出世の石段」(←関連記事参照)を右に見上げながら、増上寺方面へと向う愛宕下通りであり、件(くだん)の藪小路は、この絵を描いた視点の背後にある辻から右方面へと続く通りである。 この辻の西南の角(この絵で言うと、斜め右方向)に位置する一帯が、近江水口藩加藤越中守の屋敷であり、ここには、江戸ではよく知られた竹薮があった。 竹藪と言っても、江戸名所図会の「藪小路」を見る限り、藪というよりは、竹の生垣といった小ぶりな趣であることがわかる。 もともとは鬱蒼とした竹薮があったのかもしれないが、幕末期には、地名にちなみ、記念碑的に何本かの竹が残されていただけなのかもしれない。

この竹薮、加藤家の屋敷から見ると、北東、つまり鬼門の方角にあたるので、屋敷の鬼門除けの竹やぶであったと言われている。 しかし、何故鬼門に「竹」なのか。 普通、鬼門方面には、「桃」、「南天」、「柊」、「榊」、「梅」 などを植えるのが吉とされていて、「桃」は特に厄除けの効果が高いとして好まれた。 鬼退治を成功させたのは、桃太郎なので、「桃」の効果は実証済みである。 しかし、加藤氏は、セオリー外の「竹」を選んだ。 丑寅の方角だけに、先祖の清正公の朝鮮武勇談にあやかり、竹やりで虎退治よろしく、鬼退治!というのが、鬼門に「竹」の謎を解く鍵だという専門家の説には夢がある。 そう言えば、清正の愛刀、同田貫の鍔(つば)も透かし竹の意匠である。 確かに、加藤家は、竹と虎を連想させる家柄であるのは間違いない。 しかし、水口加藤家が清正の子孫というのは、実は大いなる誤解である。 ■戦史ドキュメント 賤ヶ岳の戦い (学研M文庫)

西新橋交差点

ちなみに現在、ちょうどこの絵を描いたと思われる、まさにその場所(西新橋交番交差点付近)に、江戸の風情を今に残す木造3階建ての蕎麦屋がある。 藪小路だけに藪系なら都合がいいが、「虎ノ門砂場」 という、大坂砂場系の由緒ある老舗で、この都会の一角で、もの凄い江戸オーラを放っている。 江戸時代からここにあったわけではないのだが、かつて「江戸名所図会」、「江戸名所百景」の舞台となったまさにその場所に、こんな江戸情緒溢れる家屋が現存するのはうれしい。

藪新旧
写真はいずれも、2011年2月筆者撮影

安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】 画像クリックで拡大
藪江戸

藪現代

 
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