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第50景 角筈熊野十二社 (俗称十二そう)

第50景 角筈熊野十二社(俗称十二そう) 辰七 安政3年(1856)7月 改印
つのはず くまの じゅうにそう (ぞくしょう じゅうにそう) 

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都庁舎の西側眼下に、新宿中央公園という意外に緑の多い広い公園がある。 園内に、ナイヤガラの滝や水の橋など、水にまつわるモニュメントが多く存在しているが、これは、公園の東側、つまり都庁を含む高層ビル群の広大な敷地に、かつて浄水場があったことがモチーフとなっている。 だが、新宿中央公園と水との関係は、実はもっと前時代に溯ることができる。 この公園は近代的によく整備されているので、この丘自体が、殺伐とした浄水場跡地に新設された人工の森であると思ってしまうかも知れない。 しかし、この公園を散策してみると、樹齢何百年とも想像される大木が数多く存在していることがわかる。 実は、新宿中央公園の敷地の多くは、江戸時代に、『 はなはだ幽閑の地にして、古樹の松杉、数十丈、雲霧を帯びて繁茂し、夏日、熱しといへども、この深林に入れば久しふして寒きがごとし 』、すなわち、驚くほど鬱蒼としていて、Spritual であると記された江戸の名所、「角筈(つのはず)の森」の遺構なのである。

この森には、熊野十二所権現社、通称十二社(じゅうにそう)と呼ばれる応永年間(西暦1400年頃)創建の古い神社が鎮座していた(現熊野神社)。 ここを名所たらんとしていたものは、境内西側に位置する大小2つからなる「十二社の池」と、周辺にいくつかあった「十二社の滝」に他ならない。

まず、「十二社の池」は、8代将軍吉宗が鷹狩の折に十二社を参拝して以来、池の周りに多数の茶屋ができて、江戸近郊の景勝地としてよく知られるようになった。 明治以降は、大きな料亭もできて、花柳界として賑わった時代もあったが、昭和43年(1968)に最後の埋め立てが行われ、広重の描いたこの池は完全に消滅してしまう。 だがしかし、ここには今もなお、ここがかつて華街であったことを連想させる多くの痕跡とその風情が残っている。 再開発される前に是非訪れておきたいマニア垂涎のスポットと言えそうだ。

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そしてもうひとつ、「十二社の滝」について触れておこう。 周辺に滝はいくつかあったようだが、最もよく知られていたのが、「熊野の滝」或いは「萩の滝」と呼ばれていた滝だ。 この滝は、玉川上水と神田上水を貫く助水堀を普請した際、社殿の北東に位置する崖のところに作られた人工の滝である。 江戸名所図会にも登場し、境内のどこからでも、その轟が聞こえたという名ばくであったようだが、地形から考えて、絵に描かれたほど大きなものであったどうかは疑問だ。 また、「怪談乳房榎」には、邪魔になった赤子をこの滝に捨てるのだが、その赤子の父親である亡霊が現れて、未遂に終わる下りがある。 「四谷怪談」同様、上水への死体遺棄は、必ず祟るということだろう。 (←関連記事参照

広重の本図は、「十二社の滝」の上のあたりから、「十二社の池」越しに、西南方向を望んだものだ。 奥中央の山は、大山だという説があるが、大山なら一緒に富士山も描くべき方角であろう。 筆者の推理では、これは、そんなに遠い山ではなく、もっと至近の荘厳寺、すなわち、江戸名所図会にも登場する幡ヶ谷不動の丘ではないかと考えている。

【江戸図】
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【現代図】
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